甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【千曲市】雨宮坐日吉神社

今回は長野県千曲市の雨宮坐日吉神社(あめのみやにいます ひよし-)について。

 

雨宮坐日吉神社は市北部の雨宮地区の住宅地に鎮座しています。

創建は不明。社伝によると682年(白鳳十一年)に日吉大社から山王権現が勧請されたとのこと。その後の沿革は不明。1868年(明治元年)に現在の社号に改められました。同市屋代の須須岐水神社 *1とのあいだを神輿が行き来する神事があったようですが、1872年(明治五年)に廃止になったとのこと。

現在の境内は江戸前期以降のものと思われ、本殿は古風な造りの三間社です。独特な「雨宮の神事芸能」が国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、近隣には川中島の戦いの史跡「雨宮の渡し公園」があります。

 

現地情報

所在地 〒387-0001長野県千曲市雨宮1(地図)
アクセス 屋代高校前駅から徒歩20分
更埴ICから車で5分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

参道

雨宮坐日吉神社の境内は南向き。境内は幹線道路から少し離れた場所にあり、住宅地の主要な生活道路が交差するT字路に入口があります。

入口の鳥居は木造の赤い両部鳥居。

 

鳥居の扁額には竜の彫刻が添えられています。

扁額は社号「雨宮坐日吉神社」。坐の字は左上の部分が「人」ではなく「口」になっていて、独特の字体。吉の字はいわゆる「つちよし」。

 

二の鳥居は石造の明神鳥居。

扁額は「雨宮坐日吉神社」。こちらの坐の字は、ふつうの字体でした。

 

二の鳥居の先には門のような柵が立てられ、その先に拝殿が見えます。

 

柵の近くには「雨宮の御神事」の石碑。

当社では3年に1度、橋から獅子頭を逆さ吊りにして水面をたたくという独特な神事があり、500年以上の伝統があるらしいです。この神事は「雨宮の神事芸能」として国の重要無形民俗文化財となっています。

 

拝殿

拝殿は、入母屋、向拝1間、茅葺形銅板葺。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。中央の組物は木鼻付きの平三斗。

虹梁中備えは蟇股。

 

賽銭箱には、六芒星のような独特な紋がありました。

 

向拝と母屋のあいだには虹梁。

向拝部分の軒裏には垂木があり、一重まばら垂木です。

 

母屋柱も角柱。組物は使われていません。

母屋から腕木と天井を伸ばして軒先を支えており、母屋部分は垂木が見えません。

腕木・隅木や桁の先には、分厚い茅が乗り、銅板でカバーされています。

 

側面。

破風板の拝みは鰭付きの猪目懸魚。

入母屋破風は木連格子。

 

本殿

拝殿の裏には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。

桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、銅板葺。

造営年不明。私の予想になりますが、江戸前期以降と思われます。

祭神は大国主、大山咋、スクナビコナなど多数。

 

前面の向拝部分の柱は、角面取り。面取りの幅がやや大きめで、江戸前期あたりのものに見えます。

向拝柱の側面には、平板な造形の大仏様木鼻。

柱上の組物は連三斗。

前面の柱間に中備えはありません。

 

向拝柱と母屋柱のあいだには、カーブした海老虹梁がわたされ、その下では貫らしき部材が入っています。やや変わった構造。

破風板の拝みや桁隠しには猪目懸魚。

 

母屋柱は円柱で、軸部は長押で固定。柱間は横板壁。

柱上には舟肘木が使われ、妻虹梁の上には豕扠首。古風な和様の意匠が多用されています。

 

縁側は、左右両側面と背面の計3面に、切目縁がまわされています。欄干は擬宝珠付き。脇障子はありません。

 

背面も3間。こちらも中備えなどの意匠はありません。

背面の壁には、金属製のつっかい棒が2本添えられていました。

 

大棟には千木と鰹木。

千木は、外削ぎのものが棟の両端に置かれています。鰹木は紡錘形のものが5本。

大棟には、拝殿の賽銭箱にあった六芒星のような紋が見えます。

 

境内社

本殿向かって左(境内西)には、末社が連なって長屋のようになった社殿があります。

 

拝殿向かって右側(境内東)には天満宮。

一間社流造、銅板葺。

 

虹梁には象の木鼻が使われています。

破風板は角ばった形状。

 

雨宮の渡し公園

所在地:〒387-0001長野県千曲市雨宮395-12(地図)

雨宮坐日吉神社とはとくに関係ないと思いますが、雨宮の渡し公園もおまけで紹介。雨宮坐日吉神社から徒歩5分程度の住宅地にあります。

雨宮の渡し公園は、1561年に行われた第4次川中島の戦い*2の史跡です。

上杉謙信は当地から千曲川を渡り、対岸の八幡原(川中島古戦場八幡社の近辺)に居た武田信玄に奇襲をかけたようです。結果、はげしい乱戦となり、総大将どうしの一騎討ちに至ったとのこと。

ただし、現在の千曲川の流路は雨宮の渡し公園より300メートル以上も北に移っており、公園と川のあいだの土地は畑や高速道路になっているため、往時の景色を偲ぶのはむずかしいです。また、川中島の謙信・信玄一騎討ちも史実とは言いがたく、あくまでも伝説として楽しむだけに留めるのが無難でしょう。

 

公園の中心部には、頼山陽(らい さんよう、1781-1832)の漢詩碑とその案内板があります。碑文は漢文で、案内板に読み下しと英訳が記されています。

 

以上、雨宮坐日吉神社でした。

(訪問日2022/12/02)

*1:こちらも山王権現が祀られている

*2:八幡原の戦いとも言う