甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【諏訪市】諏訪大社上社本宮 前編(神楽殿、勅使殿、入口御門)

今回は長野県諏訪市の諏訪大社上社本宮(すわたいしゃ かみしゃ ほんみや)について。

 

諏訪大社上社本宮は諏訪市南端の山際の住宅地に鎮座しています。信濃国一宮である諏訪大社の4社の筆頭で、前宮(茅野市)とともに上社を構成しています。

創建は不明。『古事記』の国譲りの節で、争いに敗れたタケミナカタが諏訪に封じられたのが起源といわれています。ほか、タケミナカタが土着の洩矢神を屈服させて諏訪を統治したことに由来するという説もあります。

平安時代の『延喜式』には上社・下社ともに「南方刀美神社」(みなかたとみ-)と記載され、信濃国の一宮として式内社に列しています。戦国時代は武田氏の領地となりましたが、甲州征伐の折に織田氏による焼き討ちを受けています。江戸期には幕府や諏訪高島藩(諏訪氏)の庇護を受け、現在の社殿が造られました。

明治時代には神仏分離令によって神宮寺が破却され、社名は「諏訪神社」となっています。戦後は、全国に多数ある諏訪神社との区別のため、「諏訪大社」が正式な社号となりました。

 

諏訪大社上社本宮の境内は守屋山の北麓にあり、社叢は県の天然記念物に指定されています。社殿は江戸時代初期から後期にかけて造られたもので、拝殿などの16棟が国の重要文化財に指定されています。拝殿は諏訪造という独自の形式で、立川流の2代目和四郎の作です。

 

当記事では諏訪大社上社本宮のアクセス情報と、神楽殿、勅使殿、入口御門について述べます。

拝殿などについては後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒392-0015長野県諏訪市中洲宮山神宮寺1(地図)
アクセス 茅野駅から徒歩50分
諏訪ICから車で5分
駐車場 100台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 諏訪大社 | 信濃國一之宮 諏訪大社(公式サイト)
所要時間 30分程度

 

境内 

鳥居

諏訪大社上社本宮の境内入口は北東向き。

なお、後編で述べる拝殿など(本殿に相当する社殿)は北西を向いていて、当初は境内の西端にある出入口が正面でした。

入口には石造の明神鳥居。左の社号標は「諏訪大社本宮」。

 

鳥居をくぐると、左手に手水舎があります。切妻、銅板葺。

写真右には一の御柱。

 

手水舎の裏には明神湯。お湯が出ています。

右奥は雷電為右衛門の像。

最強の力士として名高い雷電は、小県郡大石村(現在の東御市)の出身。同じ信州ですがここからは少々遠く、どのようなゆかりがあるのかは不明。

 

鳥居からまっすぐ進むと階段があり、奥にある拝殿や拝所への近道となっています。

この階段を上らずに左(境内南)へ進むと、大きく迂回して後述の神楽殿や入口御門などがあります。

 

神楽殿

鳥居から手水舎のあるほうへそれて境内南へ進むと、神楽殿が南面しています。

梁間3間・桁行4間、入母屋(妻入)、銅板葺。

1827年(文政十年)造営

「諏訪大社上社本宮 16棟」として国指定重要文化財(国重文)。

 

柱は円柱。

軸部は長押と貫で固定されています。木鼻はありません。

柱上は出三斗と平三斗。

軒裏は二軒繁垂木。

 

内部にも柱が立てられ、梁がわたされています。

内部中央は格天井。

2台の太鼓は、神楽殿の造営にともなって奉納されたもの。元旦にだけ叩くそうです。

 

背面。

こちらは縁側がまわされていません。

背面中央には、寺院本堂でいう閼伽棚のような突出部があります。

後方には樹木が立ち、それをよけるように軒先が丸く切り取られています。

 

正面の入母屋破風。

妻飾りは笈形付き大瓶束、破風板の拝みには鰭付きの懸魚が使われています。

 

天流水舎

神楽殿の向かいには天流水舎(てんりゅうすいしゃ)が北面しています。雨乞いに利用された社殿とのこと。

切妻、銅板葺。

文化庁によると江戸後期のもの。こちらも「諏訪大社上社本宮 16棟」として国重文です。

 

正面の軒下。

欄間には、剣形の材を並べた格子が張られています。

柱は角柱で、頭貫には象鼻。柱上は出三斗で、中備えは蟇股。

 

妻虹梁の上には、笈形付き大瓶束。

破風板の拝みには鰭付きの懸魚。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

五間廊と勅使殿

天流水舎向かって左手には、五間廊(右)と勅使殿(左)。西を向いています。

両者とも「諏訪大社上社本宮 16棟」として国重文

 

五間廊(ごけんろう)は、梁間3間・桁行5間、切妻(妻入)、銅板葺。

1773年(安永二年)再建。

 

目立った意匠はほとんどありませんが、正面の梁の中央部には、ほぞ穴が残っています。

往時の絵図では正面2間で描かれており、当初はここに柱が入っていたようです。

 

勅使殿(ちょくしでん)は、向唐破風造、檜皮葺。

1690年(元禄三年)造営で、安政年間(1854-1860)の修理で現在の姿になったようです。

境内案内板によると“当時の勅使殿は今の神楽殿の前あたりにあり拝殿の性格をもってい”て、蛙狩りの神事がここで行われていたようです。

 

屋根は切妻(妻入)ですが、唐破風の形状にカーブしています。

正面の柱間には両開きの扉。

妻飾りは角柱の束が立てられています。

 

柱は角柱。

頭貫には木鼻がつき、頭貫の上には台輪が通っています。

組物は出三斗。中備えは蟇股。

 

側面および背面は、跳ね上げ式の蔀。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は跳高欄。

縁の下は繰型のついた板状の持ち送りが使われています。

 

神馬舎(駒形屋)

境内の東端には神馬舎(しんめしゃ)。南向きです。

別名は駒形屋。内部に馬の木像が置かれています。

梁間3間・桁行3間、切妻(妻入)、銅板葺。

文化庁によると1846年(弘化三年)の造営。こちらも「諏訪大社上社本宮 16棟」で国重文

 

前方の1間通りは吹き放ち。

柱は円柱で、頭貫と台輪が通っています。正面中央には、頭貫の下に虹梁がわたされています。

組物は平三斗と出三斗。中備えはありません。

 

妻飾りは二重虹梁。

円柱の束の上に、斗や出三斗を置いています。

破風板の拝みには三花懸魚。

 

入口御門と布橋

境内東側の出入口の近くには、入口御門(いりぐちごもん)が東面しています。右に立っているのは二の御柱。

入口御門は、一間一戸、四脚門、切妻、こけら葺。

1829年(文政十二年)造営*1。こちらも国重文

棟梁は、高部村(現在の茅野市宮川)の原五左衛門親房と、その弟子の藤森廣八包近。

 

(※2019/04/30撮影)

こちらは修理前の写真。修理前は銅板葺で、現在はこけら葺です。

屋根は、1959年の修理で銅板葺になりましたが、2021年の修理で当初のこけら葺に復されました。現在の屋根のこけらは、3mm厚の栗材の板を重ねて葺いています。

 

入口御門の柱はいずれも円柱。

奥には長大な布橋が見えます。

 

正面の虹梁の中備えには、豪快な竜の彫刻。

頭貫の上には蟇股と組物が配されています。

 

頭貫には拳鼻。波の意匠が彫刻されています。

柱上の組物は、出三斗と平三斗を左右に連結したようなものが使われています。

 

主柱のあいだにも虹梁がわたされ、中備えには鳳凰の彫刻があります。

 

右側面(北面)。

こちらにも多数の彫刻があります。

破風板の拝みには鰭付きの懸魚。

 

主柱の上端には、側面に冠木が出ています。

主柱と控柱のあいだの欄間には、波の彫刻。

 

妻飾りは笈形付き大瓶束。

笈形は波の意匠。

 

入口御門の後方には、布橋(ぬのばし)がつづいています。

梁間1間・桁行38間、切妻(妻入)、こけら葺。全長70.3メートル。

1777年(安永六年)造営と考えられます。国重文

 

(※2019/04/30撮影)

こちらは修理前の写真。

当初はこけら葺で、1959年に鉄板葺、1995年に銅板葺となりましたが、2021年の修理でこけら葺に復されました。現在の屋根のこけらは、スギ材が使われています。

 

柱は円柱。組物や斗栱は使われていません。内部は化粧屋根裏。

軸部はケヤキ材、小屋組はマツ材が使われているとのこと。

柱の貫の下あたりについているくぼみは、長押の跡。修理前はここに長押が打たれていましたが、今回(2021年)の修理では官幣大社時代(20世紀前半)の姿を復元する方針で、現在は長押が取り除かれています。

 

神楽殿、勅使殿、入口御門などについては以上。

後編では拝殿などの社殿について述べます。

*1:棟札より