甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【長野市】湯福神社

今回は長野県長野市の湯福神社(ゆぶく-)について。

 

湯福神社は善光寺の裏手にある住宅地に鎮座しています。

善光寺七社の1社。また、妻科神社武井神社とともに善光寺三鎮守に数えられます。

創建は不明。1847年(弘化四年)の善光寺地震で社殿が被害を受け、1862年(文久二年)に現在の社殿が再建されています。

境内には、善光寺を開山した本田善光の墓とされる岩(善光廟)があるほか、参道のケヤキが市の天然記念物です。本殿は、白木の彫刻で飾られた派手な造りとなっています。

 

現地情報

所在地 〒380-0801長野県長野市箱清水3-1-2(地図)
アクセス 善光寺下駅から徒歩20分
長野ICから車で30分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 10分程度

 

境内

鳥居と善光廟

湯福神社の境内は南向き。善光寺の裏の閑静な住宅地に鎮座しています。

入口には石造の明神鳥居。

 

二の鳥居は木造の両部鳥居。扁額は「湯福神社」。

 

二の鳥居横にある百度石。

百度石の柱の上には、諏訪梶をかたどった石が置かれています。

 

参道の左脇には善光廟(伝 本田善光の墓)が南東向きに鎮座しています。

こちらは覆い屋。入母屋、銅板葺。

 

内部にはこのような岩があり、これが本田善光の墓らしいです。真偽のほどは不明。

本田善光(本多善光、ほんだ よしみつ/ぜんこう)は飛鳥時代の役人。善光寺の寺号は彼の名前に由来し、彼が「難波の堀江」なる場所で拾った仏像が、現在の善光寺の本尊といわれます。

 

拝殿

参道を進むと拝殿が鎮座しています。拝殿の手前には茅の輪。

入母屋、向拝1間 軒唐破風付、銅板葺。

後述の本殿とともに、1862年(文久二年)に再建されたものと思われます。

向かって右にあるケヤキの大木は、「湯福神社のケヤキ」として市指定天然記念物。

 

拝殿の四周には御柱が立てられています。

写真は、向かって右の手前に立てられた、一の御柱。

 

向拝の唐破風と中備え。

破風板に下がる兎毛通は、鳳凰の彫刻。

唐破風の小壁には角柱の束が立てられています。

虹梁の上の中備えには彫刻が入っています。松の木と人物像が彫られていますが、なにを題材にしたのか私には解りません...

 

向拝柱の正面には唐獅子、側面には獏の木鼻。

 

向拝と母屋は海老虹梁でつながれています。

 

海老虹梁の内側には、唐破風を支える梁(桁?)が母屋まで伸びています。

 

母屋柱は角柱。頭貫には木鼻がつき、柱上に台輪がまわされています。

組物は出組。

 

建具は、桟唐戸や舞良戸が使われています。

縁側は切目縁が3面にまわされ、後方に脇障子を立てています。

 

破風板の拝みには鰭付きの懸魚。

破風の内部には妻虹梁があり、笈形付き大瓶束が立てられています。

 

本殿

拝殿の後方には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。

桁行3間・梁間2間、三間社流造?、向拝1間、銅板葺。

1862年(文久二年)再建。

祭神は諏訪明神ことタケミナカタ。

 

向拝柱は角柱。側面に見返り唐獅子の木鼻。

母屋柱も角柱で、海老虹梁で向拝とつながっています。

母屋に角柱を使うのは正式ではない技法のため、もしかしたらこの社殿は本殿の覆いで、内部に本殿があるのかもしれません。

 

反対側から向拝正面を見た図。

向拝中備えには竜の彫刻。造形は悪くないと思いますが、角度的に見づらいのが惜しいです。

竜の彫刻の両脇には、長い肘木を使った組物が置かれています。

 

右側面(東面)。

側面前方には舞良戸。後方は白塗りの壁になっています。

縁側は切目縁が3面にまわされ、背面側は脇障子を立ててふさいでいます。

 

妻飾りは二重虹梁で、多数の彫刻が配され派手な造り。

母屋柱と台輪の上に出組が乗り、大虹梁を持ち出しています。大虹梁の上には力神と笈形付き大瓶束。そして二重虹梁の上にまた笈形付き大瓶束が立てられています。

破風板の拝みは鰭付きの猪目懸魚。鰭は雲の造形。

 

左側面(西面)の力神。

二重虹梁に力神を配置する点は、千曲市の武水別神社本殿粟狭神社本殿とよく似ています。

 

本殿の右手前には、名称不明の社殿と、「水神」と彫られた石碑がありました。

 

以上、湯福神社でした。

(訪問日2019/04/16,2022/07/03)