甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【松本市】筑摩神社

今回は長野県松本市の筑摩神社(つかま-)について。

 

筑摩神社は松本市街を流れる薄川の南岸に鎮座しています。

創建は不明。遅くとも平安時代には成立していたようです。伝承によると794年、坂上田村麻呂が石清水八幡宮から勧請したのがはじまりとのこと。

平安以降は、国内の源氏から篤く崇敬されました。室町時代には小笠原氏によって現在の本殿が再建され、江戸時代にも歴代藩主の崇敬を受けています。当初は「八幡宮」を称していましたが、明治初年の神仏分離で神宮寺(安養寺)が廃され、現在の社号に改められました。

現在の境内は、本殿が室町前期、拝殿が江戸前期のものです。とくに本殿は市内最古の建築で、独特な作風の三間社であり、国の重要文化財です。また、拝殿は長野県宝、神宮寺の梵鐘が市の文化財となっています。

 

現地情報

所在地 〒390-0815長野県松本市筑摩2-6-1(地図)
アクセス 松本駅から徒歩40分
松本ICから車で15分
駐車場 5台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり(要予約)
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

参道

筑摩神社の境内は南向き。入口は住宅地に面し、裏手には川が流れています。

入口には石造両部鳥居。

 

鳥居の扁額は「八幡宮」。八の字が鳩のシルエットになっています。

 

二の鳥居。赤い木造両部鳥居。扁額はありません。

反り返った笠木には、銅板葺の屋根がついています。

 

参道右手には手水舎。

切妻、銅板葺。

 

柱は面取り角柱。柱上は出三斗。

ほか、透かし蟇股や木鼻が使われています。見づらいですが、妻飾りは豕扠首。

 

参道右手には、社務所が西面しています。

 

社務所の玄関の庇部分。

虹梁の中央部には平三斗が置かれ、その左右には松と鳩の彫刻。

唐破風の小壁の部分には、雲状の蟇股が置かれています。

 

庇の柱は几帳面取り角柱。見返り唐獅子の木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。

 

庇の側面の梁。

中備えには、鳩と思しき鳥の彫刻が入っています。

庇の内部は格天井が張られています。

 

神門

二の鳥居の先には神門。

一間一戸、四脚門、切妻、銅板葺。

 

正面の虹梁。絵様と眉欠きがついています。

中備えは大瓶束。大瓶束には貫が貫通し、上に大斗と舟肘木が乗っています。大瓶束に貫を通すのは風変わりだと思います。

 

正面向かって右手前の控柱。

柱はいずれも大面取り角柱が使われています。古式の作風を意識したのでしょう。

虹梁の木鼻は、大仏様木鼻のような繰型がついています。

頭貫の木鼻は、大仏様とも禅宗様ともつかない意匠。

柱上の組物は、大斗と舟肘木。

 

妻飾りは大きな板蟇股が置かれています。

四脚門にしてはめずらしく、内部に格天井が張られています。

軒裏は一重のまばら垂木。

 

拝殿

神門の先には拝殿。
梁間3間・桁行3間、入母屋(妻入)、向拝1間、檜皮葺。

松本藩主・石川康長により1610年(慶長十五年)再建*1。長野県宝*2

 

向拝は1間。

梁や組物などは彩色されていますが、かなり退色が進んでいます。

 

虹梁中備えの蟇股。彫刻は、牡丹の花と鳩が題材。

色あせていますが、この時代にしてはかなり良い造形だと思います。

 

向拝柱は面取り角柱。江戸前期のもののため、面取りの幅が大きいです。

柱の側面には象鼻。

柱上の組物は出三斗。安土桃山風の彩色です。

 

向拝柱と母屋をつなぐ梁。

向拝の組物の上から出て、母屋の頭貫の位置に取り付いています。

手挟はありません。

 

正面の入母屋破風。木連格子が張られています。

拝みには鰭付きの蕪懸魚。鰭は若葉の意匠。

 

右側面(東面)の全体図。

 

母屋柱も面取り角柱が使われています。頭貫には拳鼻があります。

組物は、隅の部分は出三斗、ほかは平三斗です。

 

背面。

こちらにも切目縁がまわされ、中央の戸の上には蟇股が見えます。

 

本殿

拝殿の後方には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。

桁行3間・梁間3間、三間社流造、檜皮葺。

案内板*3によると、小笠原政康により1439年(永享十一年)に再建されたもの。1616年修理。国指定重要文化財

 

左前方から見た図。

側面は3間。前方の1間通りは外陣で、建具がないうえ床も低く造られています。

外陣の手前の柱は、面取り角柱。縁側の柱を、そのまま上に伸ばしたような構造になっています。

 

外陣部分を、右側から見た図。

外陣の柱の組物は出組。ふつう、このような場所は連三斗を使います。

組物を側面から見ると、柱筋だけでなく、前後に出た組物の上にも軒桁が通っていて、つごう軒桁が3本も使われています。同市の大宮熱田神社本殿や、若一王子神社本殿(大町市)もこのように軒桁が3本使われており、当地の室町時代の神社本殿に特有の技法のようです。

 

海老虹梁は独特な曲線形状のシルエットになっていて、向拝側は組物の肘木も兼ねているようです。先端(左端)には木鼻がついています。

手挟は板状のもので、こちらは入り組んだ曲線になっています。しかしサイズが小ぶりで、垂木のあいだに埋もれてしまいそうです。

 

訪問時は欄干の修理中だったようで、養生がかかっていました。

階段は中央の1間だけに設けられ、階段の下には浜床があります。

 

側面3間のうち、後方の2間は母屋です。

母屋柱は円柱で、側面は横板壁。正面はすだれがかかっていて建具を確認できず。

縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。

 

軸部は長押と貫で固定され、柱上には台輪が通っています。

母屋の組物は二手先。中央の組物は持ち出しがありません。拝殿の組物と同様に、安土桃山風の極彩色に塗られていた跡が残っています。

組物のあいだに中備えはありません。

 

組物の上の妻虹梁は、社殿の規模のわりに細い材が使われています。妻虹梁の上には大瓶束。

破風板の拝みと桁隠しは猪目懸魚。

 

背面。長押はなく、軸部は貫が多用されています。

縁側は背面の部分で途切れ、脇障子を立ててふさがれています。

母屋柱は礎石の上に建てられています。床下は、成形の手間を省いて八角柱にしています。

 

背面の軒下。

組物は出組で、軒桁を持ち出しています。こちらも中備えはありません。

 

筑摩神社本殿の左正面

(※2020/01/11撮影)

最後に左正面から見た図。

 

境内社など

拝殿の周辺には、境内社などの社殿が点在しています。

こちらは3つの摂社末社を合祀した社殿。左から「子安大神社 熊野大神社」「筑摩大神社」「八坂大神社」。

切妻、銅板葺。

 

境内の東側に並ぶ境内社。

右の覆い屋の内部には、「太郎山神社」の本殿がありました。一間社流造、板葺。

 

境内の西側の道路に面した場所には、鐘楼があります。かつて当社境内にあった神宮寺の遺構です。

内部に吊るされた梵鐘は、1514年(永正十一年)に小笠原長棟が寄進したもの。松本市指定重要文化財。

 

西側の道路をわたった先の区画には、「五條天神」「飯塚」という小祠があります。

 

以上、筑摩神社でした。

(訪問日2023/04/17)

*1:棟札より

*2:県指定有形文化財に相当する

*3:松本市教育委員会による設置